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クラブの歴史: デンポ

デンポ(Dempo)SCは、かつて Bicholim SC という名前で1960年に設立した。Bicholimは、ゴアの一部リーグのクラブだった。Bicholim村のサッカー好きがクラブを形成し、サルガオカルやバスコに対等に渡り合えるようになった。

その後、クラブのオーナーシップはマイケル・D・ソウザ(Michael D’Souza)とバサントラオ・デンポ(Vasantrao Dempo)に渡り、1966年にデンポ・ソウザ(Dempo Souza)SCと解明された。デンポがソウザ所有の株式を取得したため、デンポSCとなった。


ジョセフ・ラスナム(Joseph Rathnam)


バサントラオ・デンポがクラブのオーナーとなって数年後、デンポは 1971-72シーズンのゴア・リーグに優勝した。クラブはバスコやサルガオカル、セサに実力で肩を並べるようになった。デンポは地元ゴアから才能ある選手を見い出すことに長けていた。エウスタキオ・ペレイラ(Eustaquio Pereira)やフェリックス・バレト(Felix Baretto)、フェリックス・カルドゾ(Felix Cardozo)などはほんの一部である。これは、ラスナムの絶え間ない努力の賜物だ。彼の指揮下でデンポはローバーズ・カップ に優勝した。

デンポはタタ・スポーツ・クラブをロスタイムのPKで破った(スコアラーは K.Williams)。また、バンガローで開催されたスタフォード・カップ(Stafford Cup)でも決勝でオーケイ・ミルズ(Orkay Mills)とゴールなし引き分けとなり、ジョイント優勝を決めた。デンポ氏のクラブは1972年から1975年のニザム・ゴールドカップ(Nizam Gold Cup)で決勝まで進んだものの、いずれも破れている。

この3年間でデンポが逃したタイトルはこれだけではない。パンジ(ゴア州)のBandodkarゴールドトロフィーでも1971年と73年、75年にかけて準優勝だった。1976年に、ようやくフランシス・D・ソウザ(Francis D’Souza)のハットトリックでリーダーズを 3-0 で破り、優勝している。


ボブ・ブースランド(Bob Boothland)

ニューカッスル出身のボブ・ブースランドは、クラブにとって初めての外国人監督となった。1979年、デンポはディオニシオ・トリニダデ(Dionisio Trinidade)のゴールでJCTを破り、ローバーズ・カップに優勝した。

スタッフォード・カップも決勝でITIを破り優勝した。さらに1978年のニザム・ゴールドカップでCustoms and Exerciseをニコラス・ペレイラ(Nicholas Pereira)のゴールで下し、雪辱を果たした。

1979年のゴールド・トロフィー(Bandodkar Gold Trophy)でデンポはオーケイ・ミルズと引き分け優勝し、1982年にはサルガオカルを 3-0 で破り、優勝した。デンポはさらに3回に渡りトロフィーを守っている。

ブースランドは数年でクラブを一旦去ったが、再び舞い戻った。特筆すべきは、1986年のローバーズ・カップでイースト・ベンガルとモフン・バガンを破り、優勝したことだろう。準決勝のイースト・ベンガル戦で、マウリシオ・アフォンソ(Mauricio Afonso)、バプティスト・フェルナンデス(Baptist Fernandes)そしてジョゼ・フェルナンデス(Jose Fernandes)がゴールを決めた。決勝のモフン・バガン戦は完全にワンサイドゲームとなり、前半だけで2点決めている。最後にデンポが優勝したのは1990年だ。


1990年代

デンポはゴアのチームとして初めて国際大会で優勝した。1991年のモルディブ・インビテーション・カップでモルディブのニューラディアント(New Radiant SC)を 5-4で破った。クラブはシーザーズ・カップにも何度も優勝している。しかしそれ以外、これといった成功は納めていない。

マウリシオ・アフォンソやカミロ・ゴンサルベス(Camilo Gonsalves)といった選手が引退した後、彼らに代わるスターを見つけることができなかったデンポは優勝から遠ざかっていった。

ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)がスタートした1996-97 年、デンポは4位で終えた。しかし1999-00シーズンに最下位となり、降格した。


解散の危機

デンポの降格要因は三度目のNFLでの成績が芳しくなく、上位6位に入らなかったため、チームを解散しようとしたことである。ファンから懇願を受け、デンポ氏はクラブの予算を減らした。そのためクラブは未熟な選手ばかりになり、それが結果的に降格に繋がった。

かつてデンポ氏は、「中くらいの成績というのはあり得ない。トップか最下位か、どちらかだ」と言っていたが、まさにその言葉通りになった。


アルマンド・コラコ(Armando Colaco)の登場
このころ、元デンポMFのコラコが監督に就任し、デンポをインド国内有数の強豪に育て上げると言う難しい任務についた。最初の年こそトップリーグには行けなかったが、翌年には二部リーグで優勝した。

デンポはNFLを4位で終え、次のシーズンはイーストベンガルにわずか4ポイント差の2位となった。デンポの興隆は誰にでも感じとることができ、2004-05年にはNFL優勝を成し遂げた。過去2年間、リーグタイトルも獲得している。

コラコの下、デンポは最も恐るべきチームの一つとなり、クラブサッカーで得られる栄誉のほとんどを勝ち取っている。

そして、デンポの快進撃は止まらない。



いまいち国内リーグの構造がよく分かっていないので(Iリーグが出来て単純になるのかと思ったら、単に上に出来ただけで地域リーグは存続?)、間違っていたらすみません。

Club Day: Dempo SC - The History

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